[根拠 ウイグル語の短文(ショートメール?)を書き直した。東トルキスタン(所謂新疆ウイグル自治区)では、大小各都市で似たような事が多発している]
昼食を済ませたが、私は宿題をする気が全く起きなかった。食器を洗う母を手伝い、何もすることがなくなったので、父に聞いた。「ちょっと遊びに行ってもいい?」
「あのウイグル語の詩は覚えたか?」と父は聞いてきたので、「もうとっくに覚えたよ。聞いて。」と父が答えるより早く英雄沙迪尔の詩を暗誦した。
“我是好汉沙迪尔,
「いいぞ。よく覚えた。さすが私の娘だ。」父はうれしそうに私を抱きしめ、「外へ遊びに行ってこい。だがいいか、院子(塀に囲まれた中庭。小さな公園のようなもの)から出てはだめだ。院子の中で遊ぶんだぞ。」と言った。私はちょっとがっかりした。院子の中で誰と遊べばいいの?娜孜姑姆は来るかなあ。
九月のウルムチは依然として太陽が燃え盛り、真夏のように蒸し暑かった。院子の中では数本しかない木の木陰で退職したお年寄りが数人、将棋を打っていた。見物している人たちのほうが、将棋を打っている人たちよりもよほど興奮して大声を張り上げていた。
子供は私一人だったので、けんけんぱでもしようと思い、地面に四角を描いていた。すると、「ポン!ポン!」とボールが地面を打ちつける音が聞こえてきた。娜孜姑姆が来た!
娜孜姑姆は私と歳が同じで学年も同じだったが、彼女はウイグル族の中学に通っていた。痩せていたがとても元気で度胸があった。たくさんのお下げを結っていて、時々ドッパ(民族衣装の帽子)を被っていたがとても可愛かった。
彼女は院子からいくらも離れていない裏通りに住んでいた。そこはウルムチ以外から出稼ぎにやってきたウイグル人が住んでいた。彼女の家に何度か遊びに行ったことがあるが、彼女の家族は6人が二つの部屋に住んでいた。彼女の両親がひとつの部屋、そして彼女と弟二人、妹一人はもうひとつの部屋で暮らしていた。
父は私が彼女の家へ行くことを快く思っていなかった。彼女の家の辺りは道が狭く、汚く、散らかっていた。誰も掃除しに来ないのだろう。雨が降ろうものなら、彼女の家の通りは泥だらけになって歩けなくなる。
彼女も私のうちに一度だけ遊びに来たことがある。
彼女は私の部屋の物を珍しそうに眺めた。本棚、パソコン…とりわけ枕元にある熊や犬(のぬいぐるみ?)をなでたり抱き上げたりしていた。私は熊のをひとつあげてもいいと思ったが、母がなんていうか分からなかったので黙っていた。
彼女は客間の壁に掛けてあるドッタル、ドンブラ、ラワップ(いずれも民族楽器の名)を見つけ、我慢できずにドッタルを手にとって弾いてみた。母が音を聞きつけ、慌ててやってきた。「触らないで。これは民芸品なの。」以来、彼女は二度と私の家に来ることはなかった。
私は娜孜姑姆が好きだった。彼女はウイグルの昔話をよく知っていて、それらがとても好きだった。それに彼女はウイグル語の歌を上手に歌うことができたので、彼女からたくさん歌を教わった。
父も母も私に家ではウイグル語を話すようにと言うが、彼ら自身、ややもするとウイグル語を話すのを忘れ、漢語を話し出す。それに、父も母も漢語のテレビが好きだった。父が言うにはウイグル語の放送は漢語のより遅く、歌や踊り以外の番組は全部漢語の番組の翻訳ということだった。
私は娜孜姑姆の話してくれる昔話のほうがテレビの子供番組よりずっと面白かった。彼女と遊んでいると知らない間にウイグル語が上手になっていた。だから父も母も私が彼女と遊ぶことにいい顔はしなかったが、反対もしなかった。
「やっぱりバスケやろうよ」と娜孜姑姆は言いながらドリブルしジャンプしてシュートを決めた。
娜孜姑姆は男の子のような性格で、バスケが好きだった。彼女の住んでるところには何も無いので、バスケットゴールのある私たちの院子に来てはここの子供たちと遊んでいた。院子の子供はほとんどが漢族で、彼女の漢語はそれほどうまくなかったが、バスケが上手なので漢族の子供たちも彼女と遊ぶのが好きだった。彼女がいるチームが勝つので、チーム分けするときはいつも彼女の奪い合いになった。
娜孜姑姆がシュートを決めた。
彼女のプレイをうらやましそうに見守っていた。私は球技が好きではなかったので、彼女がバスケを始めるといつも熱心な観客になった。彼女が男子たちを抜き去り、正確にボールをシュートするとき、私は思わず拍手をしていた。
私は娜孜姑姆を父の次に尊敬していた。
「ボン、ボン、ダンッ!」ボールがゴールから逸れて、バスケット板に当たり大きな音を立てた。目の前に転がってきたボールを娜孜姑姆に渡すためしゃがんでとろうとしたとき、漢語で怒鳴る声が聞こえた。「おい、小老維(維はウイグルの略)、ここで遊ぶな、出てけ」頭を上げると、張おじさんがいた。彼は私の家の隣に住んでいて、父と同じ単位(生活、職場等の区分)で書記を務めている。
彼は私のことを言っているのではないんだろう。私の表情に気がついたようで「お前のことを言ってるんじゃないんだよ、热孜婉姑丽。あの小老維のことだ。あいつはここで遊んじゃだめだ」そうかもしれないが、娜孜姑姆のことを「小老維」を呼んで良いわけがない。
「何でここで遊んじゃいけないの?私はここで遊ぶ。ここから出て行かない!」娜孜姑姆は強く反発し、ゲームを続けた。
それが張書記の癇に触ったらしく、まるで襲い掛からんばかりに大声で怒鳴った。「聞こえなかったのか小老維、とっとと失せろ。ここは単位の院子だ。お前みたいな老維がいていいと思ってるのか。出て行かないなら警備員を呼んで引きずり出すぞ!」
「私はウイグル族。『老維』じゃない!ここから追い出したいんならやってみな」
「ふざけやがって!なんて教養のない老維だ。この歳からこの有様とは。親はどんな躾してやがるんだ!」
「kapir、hitay(異教徒、チャンコロ)!このろくでなし」娜孜姑姆も怒ってやり返した。
「な、なんだと?『カピル』『ヒタイ』だと?お、お前は分裂主義者だ!将来テロリストになるに違いない!」「警備員!警備員はどこだ!」張書記は真っ赤になって大声を上げた。
叫び声を聞いて、将棋を指していた老人も娜孜姑姆を囲むように集まってきた。張書記の言を受け、みんなが娜孜姑姆をなじり始めた。私は驚いた。友達を助けたかったけれど、大勢の大人が相手では何もできなかった。
娜孜姑姆は恐れてはいなかったが、緊張しているようだった。漢語がおぼつかなくなってきたが、それでも「私はここで遊ぶ。私はウイグル族で、『老維』じゃない!無教養はあなた。ごろつきはあなたのほう!」と一歩も譲らなかった。
「どうしたどうした、誰が騒いでいるんだ?」聞きなれた漢語を耳にした。父の声だった。私は内心ホッとした。父ならきっと娜孜姑姆の肩を持ってくれる。私たちの味方をしてくれる。きっと張書記の粗暴な振る舞いをたしなめてくれる。娜孜姑姆を『小老維』なんて呼んでいいはずない。悪いのは張書記。この院子は毎日他にもいっぱい子供が遊んでいる。娜孜姑姆ひとりいたところで別にどうということはない。
「沙局長、小老維がこの院子に入り込んで遊んでいるので出て行くように教え諭してたところ、そしたら奴は私のことをkapirだのhitayだのゴロツキだのと言って来た。こんな小さな時分から分裂主義的思想を持つなんて、将来きっとテロリストになるに違いない。ウイグル学校の民族団結教育は全くなってない。こいつに何か言ってくれ。礼儀をわきまえた、流暢な漢語を話すうちらの热孜婉姑を見習えって。」
娜孜姑姆は父を見ると泣き出しそうな顔になった。私も祈るような視線で父を見つめた。お父さんは私にとって詩の中に出てくる英雄沙迪尔そのものだった。
彼女は涙をこらえながら父に言った。「おじさん、この漢族が私に老維、ごろつき、ここで遊ぶなって言ったんです」
父は娜孜姑姆が言い終わる前に彼女の言葉を遮り「娜孜姑姆、張書記のことをkapir hitay ゴロツキと言ったのか?」と漢語で聞いた。
娜孜姑姆は泣きそうになりながらも決して泣かなかった。そして震えた声でウイグル語で父に「hitayって言いました。でも彼は…」娜孜姑姆はまだ言葉を続けたかったようだが、父は彼女を漢語で厳しく叱りつけた。「娜孜姑姆、お前はなんて教養がないんだ。党がお前に新しい生活をくれたというのに、漢族の同志は我々を助けてくれたというのに、どうしてhitayなどと罵るのだ。彼らは我々を助けてくれたんだ。誰が吹き込んだんだ、これは民族主義だぞ。分かってるのか。警察を呼ぶぞ」
娜孜姑姆は激しく体を震わせ、顔を赤くし、目を潤ませながらも、唇を噛み締め泣くのをこらえていた。人ごみを掻き分け、うなだれながら去っていった。ボールを持つ手がとても震えていたのが見えた。
父は漢語でまだ激しく何かを言っているようだった。張書記は怒り覚めやらぬらしく去っていく娜孜姑姆の背を指差し喚いていた。
涙がこぼれ、体がぶるぶると震えた。なんとか声を上げるのをこらえた。泣いていることを父にも張書記にも見られたくはなかったから。
私の父は沙迪尔、でもあの英雄沙迪尔ではない。涙をぬぐいながら、帰り道、無意識のうちに英雄沙迪尔の詩をつぶやいていた。
伊犁河谷是我家,
来去自如我不怕,
清军枪弹崩石花,
我送清兵阎王家。
http://news.boxun.com/news/gb/pubvp/2011/02/201102092350.shtml


by 刑天
あなたは分裂主義者ですか!?